らくガキ日記

アモイ在住の兼業イラストレーターの日記

北京一夜 その4<鎮魂歌としての意義>

 1989年6月4日に起こった第二次天安門事件のことを公の場で語る事は中国国内ではタブーでしょう。そのタブーに挑んだことで北京一夜(One night in Beijin)という名曲が生まれたのだと思います。


 この歌は中国の多くの放送局でさまざまな歌手により歌われました。特に2008年の北京オリンピックでは首都北京を象徴する歌として広く放送されたようです。本来ならば、詩の中の文学の力を使って政府の力を利用し、反政府的なメッセージを大衆に伝えたという”ペンは剣よりも強し”を地でいった歌であるとの評価が正しいのかもしれません。


 ですが、私にはこの歌の真意はもう少し深いところにあるように思えます。この歌の一番の目的は天安門事件で命を失った若者たちへの鎮魂です。彼らの魂を沈めるためには、天安門で命を失った若者、作者を含めた1989年に若者だった人々、そして現代の若者が必要だと歌詞の中で訴えているように思います。でも、それだけでは本当は足りないのです。あの日天安門広場に集まった若者たちを悲劇に追い込んだ、いえ悲劇に追い込まざるを得なかった政府側の人々が必要です。加害者側の彼らが鎮魂の列に加わることで初めて命を失った若者の魂は成仏できるのです。そのためには作者はどうしても天安門事件というキーワードを詩のなかで隠さなくてはいけなかったのです。そしてもしかしたら、政府側の人々も北京一夜に隠された意味を意識的、もしくは無意識的に気付いていたのかもしれません・・・


 そうです。2008年北京オリンピック開幕時、北京一夜が中国の国営放送で流されたときに鎮魂歌としての北京一夜は完成したのです。そしてそれは、作者と現中国政府との共同作業でもあったのです。


 次回は北京一夜に出会ったことで行き着いた天安門事件について、もう少し考えてみたいと思います。

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本日もらくガキ日記にお出でいただき、ありがとうございました。
すみません、終わりませんでした。次回も少し続きます。