北京一夜 その1<ことのはじまり>
ことの始まりは
”高橋さん、忘年会で何かやってくださいよ。”
という通訳さんの言葉でした。
私が勤めているアモイの会社では毎年旧正月前に中国人、日本人含めた全体で忘年会を行うことが通例になっています。
くじ引き大会やカラオケを余興でするのですが、カラオケなら少し練習すれば大丈夫かなと一晩考えてから軽い気持ちで、
”それでは 北京一夜を歌いますよ”
と通訳さんに返事をしたのでした。
北京一夜 (One Night in Beijin)
当時その歌は平安さんという歌手が毎日のようにテレビで歌っていました。私も嫁の見ているテレビで食事のときなど良く聞いていたのでした。
女性パートと男性パートを一人の歌手が浪々と歌い上げる、一人クリスタルキングな歌なのです。
これを中国の人たちの前で声の高めの日本人男性が歌えば結構うけるんじゃないかというスケベ心で決めた選曲でした。
ですが、詳しく余興の打ち合わせをしてみると、曲のデータは自分で用意するようにとの御達しです。どうやら近代的なカラオケシステムは無いらしいのです。
私以外の中国人の演者たちは、仕事後に会社に残り、コツコツと計画的に演目の練習をしており、かなり完成度が高い発表会になりそうです。
ここに来て、私は初めて自分が落ち込んでしまった泥沼の状況を理解したのです。忘年会といえども500人以上の人の前で、母国語以外の言語の歌を、カラオケシステムなしで、男性パートと女性パートを使い分けて、日本人代表として歌はなければならなくなりました。ここから1ヶ月におよぶ、苦難の練習の日々が始まったのです。
何はともあれ、歌詞を覚えなければなりません。私の乏しい中国語力では単語が頭に入ってきません。
ピンインの羅列ではどうしても覚えられないのです。そこに意味を、そして物語を見いださなければ歌詞を通しで覚えることは私には不可能でした。
そのため私は、その後の1ヶ月の間” 北京一夜” の歌詞の世界の中に深く、深く、計らずとも入って行くことになったのです。
今回は” 北京一夜”の歌詞の内容を探求する中でたどり着いた私なりの結論を,誠に勝手ながらこのブログに掲載させていただきたいと思います。
<その1 おわり>
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本日もらくガキ日記にお出でいただき、ありがとうございました。
嫁がアモイに帰って来たのであります。
妹君が送ってくれた実家の雪の写真は想像以上でした。