らくガキ日記

アモイ在住の兼業イラストレーターの日記

北京一夜 その3<偏った解釈>

 歌詞の中で語られている一夜とは1989年6月4日 天安門事件が起こった日のことではないかという仮説を発表させていただきました。この仮説に基づいて歌詞の内容を私の独断と偏見で意訳してみたいと思います。かなり偏った内容になりますが、ご容赦ください。また、次の意訳は作者の方の考えとは一切関係がないことをお断りしておきます。


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1989年6月4日

私はその日を忘れることができないでいる

なあ、現代の若者たちよ、きみはその日を覚えているかい?、忘れてしまっているかい?

まあ、今の君たちにはそんなことはどうだっっていいことだろう

すべては歴史の中の一つの塵に過ぎないのだから


1989 年6月4日

私はまだその日が忘れられないでいるよ

当て所もなく夜道をただ歩いていると

繁栄を極める北京の歓楽街にいつのまにか辿り着いてしまっていたよ


人は言う

北京の歓楽街の片隅に

一人の老婆が住んでいる

花靴を繕い

もの静かに佇む彼女は

あの日天安門に行った息子の帰りを今でも待っているんだよ



1989年6月4日

歓楽街で我が世の春をおおかする若者たちよ、そんなに飲めない酒を無理に飲むもんじゃないよ

空騒ぎする暇があるなら、一度天安門の前に行くがいいさ

そこで何が起こったか、知れば君らの心もきっと動くだろう


1989年6月4日

私はその日を未だに忘れられないんだ

あの日、飲めない酒を飲んで下手くそな歌を叫んでいた若者たちは

今の君たちにそっくりな、顔に幼さを残した普通の学生たちだったんだよ


人は言う、

あの日集まった若者たちは

北京の熱い日差しを浴びて天安門の前に立ち続けていた

当時まだみんな貧しかったから、君は粗末なTシャツとぼろぼろのジーパンを穿いてたね

そして、城門に向かって” 時代よ変われ ”と必死に叫んでいたんだ

そう、目にいっぱい涙を溜めながら



ああ、あれから何年の月日が過ぎたろうか

でも、天安門は今だに開かれない

ああ、あれから何年の月日が過ぎたろうか

あの若者たちが再び天安門に集う日ははたして来るのだろうか



1989年6月4日

私はあの日を忘れないでいる

当て所もなく夜道を歩いていると

私の心についた古傷が揺さぶられてしまうんだ



1989年6月4日

私はあの日を忘れないでいる

当て所もなく夜道を歩いていると歓楽街をぬけて

私もいつのまにか天安門の前に辿り着いてしまっていたよ



なあ、若者たちよ

もう君に問うのはやめよう

あの日の君は何処にいってしまったんだと

もう君たちのことは思うまい

あの日の君はもう帰ってこれない人なのだから

でも、どうしてもあの日の君の心を考えてしまうんだ

でも、どうしてもあの日の君の顔を忘れることが出来ないんだ

1989年6月4日、その日は私たちの胸に深く突き刺さった一本の棒切れなんだよ

その棒切れは私たちの胸から決して引き抜くことはできないし、

決して引き抜いてはいけないものなんだ


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 以上です。かなり強引かもしれません、でもこれが私が辿り着いた北京一夜の歌詞の物語でした。


 作者は北京の街を歩きながら、現代の繁栄した中国の若者たちに、あの日天安門広場に集まった若者たちのことを話しかけます、そして、少しずつ天安門に近づいて行きます。天安門の前に辿り着いたとき、現代の若者と1989年の若者、そしてかつて若者だった作者は一つに融合し、共に天安門事件の犠牲者に哀悼を送るのです。この構図を理解すると、あれだけ覚えれなかった歌詞が少しずつですが、私の頭に刻み込まれるようになったのです。

次回は”北京一夜”の鎮魂歌としての意義をもう少し論じさせていただきたいと思います。


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本日もらくガキ日記にお出でいただき、ありがとうございました。
北京一夜”は次回で終わりです。
それではみなさまおやすみなさいませ。