らくガキ日記

アモイ在住の兼業イラストレーターの日記

北京一夜 その5<1989年6月4日の盟約>

北京一夜についてはほとんど書き尽くしてしまいました。最後に北京一夜で辿り着いた天安門事件について少し触れささせていただこうと思います。


1989年当時、当時私はまだ小学生でした。中国で凄い事が起こっているということはテレビのニュースで見てぼんやりですが分かっていたような記憶があります。現在私は中国に出稼ぎに来て生活を送らせていただいております。今の私の中国人生はもしかしたらあの事件のときにすでに決まっていたのかもしれません。


1989年6月4日に北京政府が天安門広場に集まった若者達に下した決断と行動は、決して許されるものではありません。しかし、その行動は犯罪にカウントされるべきものではありません。北京一夜の歌詞に”すべては歴史の中の塵に過ぎない”とあるように、それは正式に歴史に刻み込まれるべきものなのです。あの日、命を失った若者たちは歴史の犠牲者だったと思うのです。私は考えてしまいます。あのとき、若者たちが城門を突破したとしたら、今の中国の繁栄は本当にあったのだろうかと、 もしかしたら、泥沼の内戦に落ち込み、何百万単位の流血が広がる可能性も当時はあったのだと思います。私はあの日、天安門広場で命を失った若者たちと、老練な政治家たちとの間で一つの盟約が成立したのだと思いたいのかもしれません。若者たちはその命を差し出すことで革命を終わらせ、政治家たちはその命の代償として、その後の中国経済の発展と国民の豊な生活を保証したのです。今の中国の発展と内に刻まれた矛盾はあの日から始まったのかもしれません。


私は今、天安門事件から25年の月日がたった現在の中国に暮らしています。もしかしたら、あの日若者たちの命によって与えられた繁栄の期間はもうすぐ終わりに近づいているのかもしれません。歴史の必然として、老練な政治家は死に絶え、あと数年であの日天安門に集まった若者たちの世代が北京政府の中枢に立つことになります。天安門は開かれるのか?、それとも歴史の中に埋もれるのか?、天安門事件の本当の結末を中国大陸の片隅で私も見守っていきたいと思います。


すみません。勝手なことをくだくだと書いてしまいました。私が何を書こうと北京一夜が名曲なことに変わりはありません。作者の陈升先生、刘佳慧先生、素晴らしい歌をつくっていただきありがとうございました。また、北京一夜を歌ってくれて私の耳まで届けてくれたたくさんの歌手のみなさまも本当にありがとうございました。これで北京一夜の解説を終わります。長文を読んでいただきありがとうございました・・・・


・・・え?、” ところでおまえは忘年会で北京一夜をきちんと歌えたのかよ!! ” ですかって、まあ、事ここに及んでは、そんなことはどうでもいいことではありませんか、すべては歴史の中の塵に過ぎないのですから。


北京一夜 おわり>


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本日もらくガキ日記にお出でいただき、ありがとうございました。
アモイはだいぶ温かくなりました。
昨日から嫁は友人に会いに名古屋に遊びに行っているようです。