らくガキ日記

アモイ在住の兼業イラストレーターの日記

妄想中国論06”溜め池と皇帝”


 前回、農村部の溜め池について少し述べました。わたしはこの溜め池という存在が中国という国の形に何らかのアイデンティティを与えているような気がしてしまうのです。妄想が過ぎるかもしれませんが、少し御付き合い願いたいと思います。


 中国大陸のような広大な平野が広がり、比較的降雨量が少ない地域においては、物理的に水流は長江や黄河のような少数の大河川に集中します。そしてこの中国大陸には、大規模な中央集権体制を特徴とした数々の王朝が栄枯盛衰を繰り返しながら統治してきました。”少ない大河川”と”中央集権王朝”、この2つには密接な関わり合いがあるのではないかと思います。


 支配者階級は広大な領土を影響下に置くために莫大なコストをかける必要はありませんでした。少数の大河川さえ管理下に置けば流域に広がる広大地域に影響力を持つことができるのです。国民の大多数をしめる農民は稲作を中心とした自給自足のシステムをもっていますが、それを維持するためには大量の水が必要です。それの生活を保証するのが溜め池に蓄えられた水なのです。河川を管理する支配者は溜め池に蓄える水を供給する決定権を持っています。農民にとってこの権力は絶対的な強制力をもってます。そして、その強制力を背景に、皇帝一人に権力が集中する中央集権体制が形作られるのです。”皇帝が農民に水を提供し、農民は支配を受け入れる”、この契約が中国という国の根幹にあるのだと思うのです。以前、鍾乳石の分析から王朝の終わりには大干ばつが起こっていたという研究結果をニュースで読んだことがあります(http://scisei.seesaa.net/article/109897996.html)。皇帝が農民の溜め池に蓄える水を供給する限り王朝は安泰ですが、その能力を失ったときに王朝は滅ぶのです。


 話を現代に戻しますが、私は今でもこの契約はまだ生きているのではないかと思っています。かつて皇帝を悩ませた水は現代には一体何に当たるのでしょうか? やはりライフラインでしょうか?、RMB(人民元)でしょうか?、マンション?、それとも情報でしょうか? 私には分かりません。しかしながら、今日、中国政府が人民の溜め池に水を注ぐことに成功していることは紛れも無い事実だと思います(その分配方法にかなりの不均衡がありますが•••)。北アフリカから始まったジャスミン革命の影響が中国でも起こるのではないかと言われていますが、その影響は現時点では限定的なものになるだろうと私は思います。


<追記>
 日本は山岳地帯が多く、降水量が多いことが国土の特徴です。河川は網の目のように細かく分かれています。このような風土には中央集権体制が根付きにくいのかもしれません。明治以来の近代国家、中央集権国家としての日本は、もしかたらその歴史の中ではイレギュラーな存在なのかもしれません。今、日本で起こっているさまざまな問題も実は本来の姿に戻ろうとする八百万の神々の胎動なのかもしれません。昨今の日本の政治状況の混迷を蚊帳の外から眺めていると、ふとそんな考えが頭に浮かんでしまいます。


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本日もらくガキ日記においでいただきありがとうございました。
話の風呂敷を大分大きくしてしまいました。一旦修正しようと思います。
次回はぐっと身近に”若者に教える正しい白酒の飲み方”です。