らくガキ日記

アモイ在住の兼業イラストレーターの日記

妄想中国論12 "共にベットを”

 日本ではちょっと考えられないと思うのですが、中国ではよく同性2人が一つのベットを使って就寝します。今ではバイク、車などの移動手段がありますが、ほんの20年前までは半日かけて歩いて親戚の家を訪ねることが多かったそうです。食事が終わって歓談した後に、はい、さようならとは行かなかったのです。中国には基本的に床に寝る習慣はありませんので、必然的に数に限りのあるベットを複数でシェアすることになるのです。



 ベットをシェアするときには、スペースを有効に活用するため上図のように頭、足を互いに逆にして寝ます。夫婦は他家で泊まるときはエチケットとして別々に寝ます。私は日本人ということで気を使ってもらっているようで、ベットを一つ独占する権利をいただくことが多いのですが、人数が多いときには甥と共同するようにとの御達しを受けます。寝返りなど少々気を使いますが、慣れると大して苦になりません。切れのあるキックをボディに受けた記憶は、たぶん夢だったのでしょう • • •



 大陸の冬の寒さはとても厳しいので、綿の布団は欠かせません。親子が一緒にねる機会がどうしても多くなるので、反抗期真っ盛りの十四,五歳の息子と父親という組み合わせも、もちろん発生するでしょう。日本ではまず有り得ない組み合わせです。しかし、よく考えてみれば、親子の絆やコミニュケーションを作る最も効率良い動機付けは、このような環境の物理的制約なのかもしれません。



 中国は今、すごい勢いで交通が発達しています。家族以外の人を自宅に宿泊させるという習慣は、もしかしたら交通の発達に反比例して少なくなる傾向があるのかもしれません。考えてみると、日本の伝統的な家屋は客を宿泊させる機能をシンプルに実現していたように思えます。私の幼いときには既に自家用車が普及した後でした。盆や正月には親戚が良く実家に集まりましたが泊まっていくということはありませんでした。でも、そのようなことが可能であったのは多少の飲酒運転は許される穏やかで、いい加減な時代背景が裏にあったためだと思います。現在の日本では飲酒運転はもちろんタブーです。サッと車で集まって、ちょいと飲んで、食べて、騒いで、サッサッと帰るなんてことは不可能になりました。文明は確かに進みましたが、時計の針は結局同じ時刻を毎日指すものなのかもしれません。そして、そこに立ちはだかっているのは人と人との関係を断ち切る怪物”妖怪無縁”です。この妖怪と戦うため、もしかしたら現在の日本人には”他家に泊まる勇気”と”他者を自宅に泊める寛容”を試されているのかもしれません。私はこの戦いに日本人は最終的には勝利すると確信しています。なぜなら日本には、”世界最高の床”、”敷蒲団”、そして”畳”という先祖伝来の三種の神器が備わっているのですから • • • 。



 ベットを共にするとき、そこには新しい風景が見えるはずです。そこは面倒くさくて、うっとおしくて、不便で、うるさくて、時々痛い所かもしれません。でも悲観しないでください。そこは必ず一人でいるより温かいところなのですから。(おわり 4/5)



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しかし、
そろそろ中国論のネタがなくなって来ました。
次回は一応の最終回です。うまく落ちが付けられますでしょうか?